【打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?】教室から消えた典道の行方は?2つの結末から読み解く「絶望」と「希望」のラスト考察
皆さま、こんにちは!とんこつです。
ふとした瞬間にDAOKO×米津玄師の「打上花火」が頭の中で無限ループしませんか?
イントロのピアノが聞こえるだけで、あの夏の少し気怠くてエモーショナルな空気が一気に蘇ってきますよね。
私たちが学生だったあの頃——ガラケーの赤外線通信で連絡先を交換したり、MDウォークマンでお気に入りの曲を聴いたりしていた、ちょっと不器用で青かった夏休みを思い出して、なんだか胸がギューっとなってしまいます。
今回は、そんな忘れられない「あの夏」の情景を圧倒的な映像美で描き、公開当時(2017年)も大きな話題を呼んだアニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を、大人の視点から徹底的にレビュー&考察していきたいと思います!
個人的な評価
- 映像の幻想美度 ★★★★★
- ノスタルジー・エモ度 ★★★★☆
- 考察・謎解き度 ★★★★☆
- 青春のほろ苦さ度 ★★★★☆
圧倒的な色彩感覚と、シャフト特有の空間演出が素晴らしい作品です。
10代の「もしも」という青い衝動がギュッと詰まっていて、見終わった後に誰かと語り合いたくなる魅力に満ちています。
1. 映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の基本情報とあらすじ
まずは本作の基本情報です。原作は、あの『Love Letter』や『リップヴァンウィンクルの花嫁』などで知られる実写映画の名手・岩井俊二監督が1993年に手がけた伝説的なテレビドラマ。
それを24年の時を経て、現代最高峰のアニメーションスタジオが再構築しました。
| 項目 | 詳細 |
| 公開年 | 2017年 |
| 総監督 | 新房昭之 |
| 監督 | 武内宣之 |
| 脚本 | 大根仁 |
| 原作 | 岩井俊二 |
| 制作スタジオ | シャフト |
| キャスト | 広瀬すず、菅田将暉、宮野真守、松隆子 ほか |
【あらすじ】
舞台は、どこかノスタルジックな雰囲気が漂う海辺の町・茂下(もしも)町。
夏休みの登校日、中学2年生の島田典道と幼馴染の安曇祐介は、クラスのアイドル的存在である及川なずながプールで佇んでいる姿に目を奪われます。
その日の夜に開催される花火大会を前に、男子生徒たちの間では「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか、平べったいのか」という他愛もない議論で大盛り上がり。
そんな中、親の再婚によって急な転校を強いられていたなずなは、プールでの激突レースをきっかけに、ある「計画」に典道を巻き込もうとするのですが……。
2. 本編ストーリー
物語の駆動力を生み出すのは、少年たちの何気ない賭けと、一人の少女の切実なSOSです。
プールでの50メートル自由形勝負で、なずなは1着になった祐介を「今日の花火大会、一緒に行こう」と誘います。
しかし、祐介は照れ隠しと友人たちとの約束(花火を横から見るために灯台へ行くこと)を優先し、なずなとの約束をすっぽかしてしまうのです。
夕方、祐介の代わりに家を飛び出してきたなずなと出会う典道。
彼女は、大きなスーツケースを抱えていました。
「駆け落ち」を計画していたなずなは、本当は勝負で2着だった典道を誘いたかったのだと告白します。
しかし、無情にもなずなの母親が現れ、激しく抵抗するなずなを力ずくで連れ去ってしまいました。
目の前で大好きな少女が連れ去られるのを、ただ見ていることしかできなかった典道。
自分の無力さに激しい怒りを覚え、祐介を殴りつけた典道は、なずなが海で拾ったという不思議な「光る玉」を、悔し紛れに投げつけます。
「もしも、俺がプールで勝っていたら……!」
その瞬間、世界が一変。時間は、昼のプールでの勝負の瞬間へと巻き戻っていたのです。
3. 【ネタバレ注意】『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の見どころ・感想
広瀬すず×菅田将暉が紡ぐ、10代特有の「未完成な声」の魅力
本作の最大の魅力の一つが、声優初挑戦だった菅田将暉さんと、どこか憂いを帯びたヒロインを演じた広瀬すずさんの演技です。
アニメ的なデフォルメされた声ではなく、生身の14歳が持つ「声のひっくり返り方」や「息遣い」がそのまま吹き込まれています。
特に、なずなが劇中で松田聖子さんの『瑠璃色の地球』を歌うシーンは圧巻。
ちょっと背伸びしたいお年頃の少女の色香と、子供ならではの純粋さが同居した広瀬さんの歌声は、鳥肌モノの美しさです。
「もしもの世界」で加速する、美しくも歪んでいく映像表現
典道が玉を投げるたびに、世界は「もしも」のルートへ進みます。
最初は普通の駆け落ち劇だったものが、2回目、3回目のループを経ていくにつれ、周囲の景色が徐々に変容していく演出が見事です。
風車が逆回転し、打ち上げ花火がひらひらとしたフラクタル図形や、ガラス細工のような奇妙な形(平べったいどころか歪んだ形)へと変わっていく。
この「世界が自分たち二人だけのものになっていく感覚」と「現実から遊離していく不気味さ」のバランスは、さすが新房監督×シャフトの独壇場です。
ラストの結末:砕け散ったガラスの球体と、二人の行方
物語の終盤、ついに世界は「灯台の上から花火を見る」ルート、
そして「東京へ向かう電車の車内」へと加速します。
タイムリープを繰り返す中、追っ手から逃れるため、典道となずなは、ガラスのドームのような異質な形状になった球体の中に閉じこもります。
そこで花火職人の放った一発により、時間を巻き戻していた「もしもの玉」が夜空で大爆発。
玉は無数のガラスの破片となって町に降り注ぎます。
その破片一つひとつには、「もしも二人がこうなっていたら」という様々な未来の可能性(IFの世界)が映し出されていました。
幸せそうに東京で暮らす二人、キスを交わす二人……。
幻影を見届けた後、なずなは「次に会えるの、どんな世界かな?楽しみだね」と言い残し、海の中へと消えていきます。典道もまた、彼女を追うように海へと飛び込むのです。
そして新学期の初日。教室の出欠確認で、先生が「島田典道」の名前を呼びますが、そこに彼の姿はありませんでした。
ただ、窓の外にはいつもと変わらない茂下町の青空が広がっているだけで物語は幕を閉じます。
4. ラストの結末を徹底考察!あのシーンが意味すること
この映画のラストは、初見では「え?典道はどこに行ったの?」と困惑する方も多いと思います。
事実としての描写は「新学期の教室に典道もなずなもいない」ということだけ。
ここから、彼らに何が起きたのかを考察していきます。
考察A:二人は「現実の世界」から消えてしまった(心中・行方不明説)
最もビターで、岩井俊二監督の原作が持つ空気感に近い解釈です。
最後に二人が飛び込んだ海。あれは現実の海ではなく、もしもの玉が砕け散った「可能性の濁流」です。
ラスト、教室に典道がいないということは、彼は現実世界に戻ることを拒み、なずなと共に「どこにもない世界(もしもの世界)」へと旅立ってしまった、あるいは海で……という解釈です。
14歳という、大人と子供の境界線にいる二人が選んだ、永遠のモラトリアムへの逃避行とも言えます。
考察B:典道は「なずなのいる未来」へ自ら歩き出した(ハッピーエンド説)
私はブログ運営者としての私見も込めて、少し希望のある説を推したいです。
劇中でバラバラになったガラスの破片(可能性の未来)を見た典道は、ただ運命に流される少年から、「自分の意志で未来を選ぶ男の子」へと成長しました。
なずなは母親に連れられてどのみち転校してしまいます。
だとしたら、典道が教室にいなかったのは、学校をサボって、あるいは自らの意志で「なずなが転校していった先の街」へと彼女を追いかけて行ったからではないでしょうか。
先生が名前を呼んだ瞬間、カメラは誰もいない典道の席ではなく、開け放たれた窓の外の広大な空を映します。

これは彼が「学校」という狭い鳥籠(システム)から抜け出し、自分の未来へと踏み出した、前向きなメッセージだと受け取ることができます。
5. まとめ:『作品名』はこんな人におすすめ!
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、単なるキラキラした青春ラブストーリーではありません。
- 10代の頃の「あの時、別の選択をしていたら」というノスタルジーに浸りたい人
- シャフトが描く、ウユニ塩湖のように美しい空と海の映像美に酔いしれたい人
- 米津玄師さん、DAOKOさんの音楽と映像の完璧なシンクロを体感したい人
万人に分かりやすい答えを用意してくれる映画ではありませんが、だからこそ、見終わった後に「あの花火の形は……」「ラストシーンの真相は……」と、誰かと朝まで語り合いたくなるような、不思議な余韻を残す名作です。
皆さんは、あのラスト、典道はどこへ行ったと思いますか?
以上、とんこつでした!
